2.仙台市は学徒の街・歴史の町

私は仙台市の観光に向かった。新幹線で、一関〜仙台、所要時間30分足らず。宮城県に入ると、古川市という大きい街が見えた。仙台市の中心部の「古川駅」から在来線で、石巻に向かうことができる。その途中、真ん中あたりに涌谷町がある。仙台藩の家老「伊達安芸宗重」二万二千石の領地である。涌谷町から南西に松山町がある。家老「茂庭周防」の封地である。それに家老 原田甲斐宗輔の3人が密かに盟約を結び、仙台藩六十二万石の取り潰しを免れようと苦心したのだった。仲間からは「吉岡」と封地名で呼ばれた「原田甲斐」。彼の領地は松山町の南西、新幹線がトンネルに入ったところの西側にある。船形御所山連峰の山麓にあるこの地はひっそりと残っている印象である。この連峰を私は見損ねた。東側の海側ばかり見ていたのである。この旅を終えて我が家に帰ったら「樅の木は残った」をもう一度読み返そう。
仙台駅で宿を予約。夕食は「三越仙台」で買い求め、夜の商店街「定禅寺通り」「一番街買物公園」を散策した。繁華街にしては静かな夜景を楽しむことができた。歩き過ぎて疲労を感じたので、風呂にも入らず、テレビも見ないで寝た。
翌日は快晴。荷物を駅の荷物預けに置いて、市内観光だけに限ることにした。仙台駅前バス停から一周1時間20分ほどの巡回バス「るーぷる仙台」に乗った。平日なのに午前9時からの始発バスに乗りきれず、2台目の臨時バスにやっと乗れた。
巡回バスは15のバス停留所に臨時乗り降りできる。市電を思わせる面白いデザインのバスで乗降が楽であった。ここも全国老人体育大会「年輪ピック」参加者で一杯だ。私は「瑞宝殿前」「仙台城跡」「大崎八幡宮」の3つのバス停を降りての観光に絞った。
仙台市は広瀬川を挟んで、西の高台部と東の市街地に分かれている。伊達政宗が眠る「瑞宝殿」は、蛇行する広瀬川に囲まれて、へのこ状の突出台地に孤立したように見える。「仙台城跡」は「瑞宝殿」の西北方向の高所にある。墓所との間は距離と高低差があり、路は繋がっていない。青葉城登山口は墓所北側の広瀬川上流の渡り橋にある。今度の東日本大災害の被害でバスの通行はできない。家老の屋敷跡は見ることができなかった。バスは大回りして、「東北大学」などのキャンパスが広がっている道を回りながら青葉城本丸殿に到着。「仙台城跡」に辿り着いた。仙台市の教育環境は素晴らしい。仙台は学都と云っても構わないと思う。
 

バス停「瑞宝殿前」を降りて、長い坂道を登りながら森の深路に入っていく。道を登り切ったところに瑞宝殿はあった。とにかく煌びやかな廟である。こういうのを伊達風と称する。廟の左右に多くの石塔が並んでいる。政宗に従って殉死した家臣の碑だそうである。政宗が亡くなった寛永時代には、幕令「殉死の禁止」があったはずである。立花宗茂は政宗と同じ齢、没年もほぼ同時期なのだが、宗茂の後を追って死んだ家臣は正式にはいない。立花宗茂は政宗に劣らず家臣から慕われているが、両藩主にはカリスマ性に違いがあって、家臣の追従の仕方に違いがある。

政宗廟の左側に「瑞宝殿資料館」がある。観光客がいっぱいここにたむろしていた。ここでボランティアガイド歴史観光ガイド 鈴木典子さんと出会った。一時間を超す長時間の説明を受けた。柳川藩と伊達藩との歴史的なつながりを話したところ、逆に興味を持たれて、お互いに歴史談話が弾んだ。
昭和20年7月、仙台市は空襲に遭い、歴史的建物の多くは焼失した。空撮による爆撃目標に伊達藩三代の廟と青葉城が含まれていた。仙台市は陸軍師団があり、広島と同じく軍事爆撃の対象に選ばれてしまった経緯があった。瑞宝殿の修復に8億円、忠宗・綱宗廟がそれぞれ3億円、2億円を要したということである。現在東京の芝に伊達藩上屋敷の遺跡調査が入っており、広大な屋敷跡の管理に東京都と仙台とは懐の痛みに堪えているところである。歴史遺物の管理には金がかかる。

伊達一族の墓所は、道を下って左手、こんもりとした薄暗い森の中にあった。藩士の墓地は下り道右手にあった。ここまで、ボランティアガイド鈴木典子さんに案内していただいた。政宗正室田村愛姫の墓所は、瑞宝殿の真後ろにあるのだが、昨年の東日本大震災の被害を蒙り、がけ崩れで出入りができないとのことだった。
伊達政宗が「関ヶ原の戦い」後、大崎(置賜郡岩手沢城)から仙台に移封(1601)したとき、大崎八幡宮を造営した。この社殿は国宝建築物指定を受けており、政宗廟と比肩できる絢爛たる造形美を誇っている。赤い大鳥居も見事であった。
 
安土桃山時代の遺構を残す権現造りは、400年の歴史の重さを感じさせる。この社殿造営の大工棟梁は刑部左衛門(左甚五郎)といわれる。絢爛たる彫刻もむべなるかなである。東日本大震災のとき、壁が壊れたし、多くの灯篭が倒れたそうである。
社殿前の長床は対照的に簡素な素木造りで美しい調和をみせている。これは国の重要指定文化財だそうである。巡回バスの団体客のほとんどは「大崎八幡宮前」で降りなかった。この人たちは大きな宝物を見逃した。私が写した社殿を入れておく。