15. 認知症の貴方に
    今のあなたには、私は誠実にお応えします

 「岩雄さんを呼んで」と繰り返し職員に要求するこのご婦人には、どの介護職員も手を焼いた。この方は帰宅願望が強く、娘からの子離れができていないので、家族や施設職員が扱い方に、往生する人だった。今日も、私を見かけると、「園長さん電話して。岩雄さんを呼んで」だった。
 認知症のお年寄りを中心にまとめて介護している階に、この方は入所していた。若い頃、上海で、商事会社のタイピスト経験があり、英語をかなり使うことができる様子だった。父方の叔母が、フランス租界に外国人と住んでいた。ホテル経営をしていたので、食堂を手伝ったとの本人さんの説明だった。港を見渡す小高い通りに住んでいたので、太平洋戦争のときは、砲弾が飛んできて困ったという話だった。これらは、ほとんど直接彼女から得た話である。
 この方との挨拶は、いつの間にか英語になっていた。握手付きだった。なかなか、握った手を離してくれなかった。私を見かけると、「園長さんここに来て」という。上海の高台と海とを連想して、彼女とは「港が見える丘」を一緒に歌うことにしていた。師範学校卒業後、一時教壇に立っていたという割には、歌はお世辞にも上手いとはいえなかった。
  ♪ちらりほらりと花びら 貴方と私に降りかかる 春の午後でした〜
でも、歌ったあと、彼女はゆったりとした気分のひと時を過ごすことができたと思う。次第に「岩雄さんを呼んで」ということが、なくなっていった。
 若いときから、色々な職業に就き、二人の男児が居る商家に後妻として入り、姉の娘を引き取り、自分の娘を育てるという、変化が多い女性の一生を送ってきた人だった。育てた子供は、皆きちんと、施設にいる母の見舞いに来てくれていた。4人の子供のなかで、腹を痛めた娘に対する愛情が、最も濃いというのは、見ていても判った。施設から、家に帰る娘の後を慕って、狂う母の様子は、娘さんの心身に傷を負わせるほどのものであったらしい。娘婿の岩雄さんが、娘さんの代わりに来園することになり、次第に「岩雄さん、岩雄さん」と頼られることになっていった。
 ところで、この方の認知症は、短期記憶障害タイプというもので、直前までの体験や自分の見聞したことを記憶することができなくなるという記憶機能の喪失が特徴である。ほんのさっき食事を終えたばかりなのに「園長、お腹がすいた」という。配膳回収台が目の前にあるのにである。こんなときでも、否定はしないで「おやつをもらわんば、お腹が一杯にならんとですか。貴方は体が大きいから、食べる量も多いとですね」と、言うぐらいでとめおく。腹一杯になる感覚を失っているから、横から「貴方が間違っていますよ。ご覧なさい。貴方のお膳がここにあるでしょ」と言っても、納得は得られない。お腹がくちくならないから、人目もはばからずに、大皿を舐めたりする。ここが認知症たるところである。
 食事時には、食堂はお腹が空いたと思うお年寄りの目線と視線と声が飛び交う。じっと我慢の人もいるので、やはり独特の雰囲気が醸し出される。こんなことがあった。園長が配膳を手伝いしていたところ、この方が、「園長はそげなことはせんでよか。お膳がちゃんと配られるか、見るだけでよか」。これには参った。私の職位と職員を指揮すべき私の行動について、判断が当を心得ており、的を得た指摘であった。この場面での、彼女の見識は、立派なもので、これまで多くの経験のなかで生きてきた女性としての常識の確かさを示すものであった。
 こんなこともあった。あまりに「岩雄さんを呼んで」が激しいので、彼女の目の前で他の人と電話で話をしてみせた。「園長、私の名も言わず、岩雄さんとも、いわんかった」。彼女の認知症に対する、私の理解が浅かった。その時の彼女は、彼女の正常な状態に近く、他の人よりも判断力・理解力が抜きん出ていたと思う。私は反省した。彼女の認知症の状態は、直前の体験を認知・記憶できないだけであるということを。
 別の日のことだが、挨拶と会話が終わってから、「そろそろ、事務所にかえらねば」という私に、あっさりと彼女は「そんなら、いってよかよ」と返事してくれた。岩雄さんが、見舞いにくれたランチョンボックスの角切りの西瓜ブロックを食べてからあまり時間が経っていないのに、「岩雄さんは、この頃、あまり来てくれんとよ」といった。でも「今のあなたには、私は誠実にお応えします」。
 「お兄さんは結婚しましょ」この方に手を握られて、突然申し込まれた時は、本当に驚いた。そのとき、何と答えたのか、覚えていない。狼狽したことだけを鮮明に覚えている。今の貴方に誠実に応え続けてきた結果、貴方の信頼を得ることができたことはわかる。その場凌ぎの騙しの言葉を言わないで、きちんと応えてきたことで、貴方に夢を抱かせたのでしょうか。