6. 嚥下機能の衰えは脳の老化のあらわれ
   誤飲性肺炎の危険、食事介護は危険です

 体細胞の膜内液は、高年齢になるに従って、水分が減り、細胞膜を通す細胞内液の代謝機能が衰えるとされる。体細胞のみずみずしさが、次第に失われていく。老人の皮膚の皮が年とともに薄くなり、乾いた状態になるのは如何ともしがたい。ともすれば不足する水分を補給するのは、高齢者の体調管理を預かる介護者が日々苦心するところ。既に体感機能が衰えているので、お年寄り自身が「水分を摂りたい」と、思わないところが厄介である。施設では、食物摂取と併せて、水分総量を考えていくことにしている。
 ベテラン介護士が、老婦人に吸い口をあてがっている。「いらんて言いよろうが」と口をつぐんで、いやいやをしている。吸い口をいくつも壊したそうだ。「お茶がおいしゅうなか」、「お膳な、みーんな、まずか」。介護士が差し出すスプーンを噛んで、いやいやするように首をふっている。口唇閉鎖機能障害も起きているようで、一旦口にしたものをこぼし、吐き出している。味覚が衰えているので、飲み物も食物も、異物を口にしているのと同じに感じられるのだろうか。口に収まった食物を、嚥下することもできずにいる。
 別の日のこと。私の目の前で、若い介護士がこのご婦人から、拳で下腹部を殴られた。腕を噛み付かれ、引掻かれまでした。「園長笑っていないで、看護婦ば止めさせんか」と、えらい剣幕で言う。前頭葉と側頭葉の大脳思考部分の方の衰えもあるようだ。味蕾感覚と神経伝達機能が衰え、味覚も失っているらしい。大脳で嚥下失行が起こり、食物と水分を体に取り込む嚥下機能が低下している。こんなとき誤嚥が起きる危険がある。さらに、一旦嚥下した食物を嘔吐しているというから、食道括約筋を動かす迷走神経もいかれた状態にあるらしい。とても怖い状態に思えた。
 水分の摂取に配慮が必要なことは判る。私が首をかしげたのは、「なぜにこうまでして、食物摂取にこだわるのか」ということだった。管理栄養士の説明は、こうであった。「この方は、糖尿病だから、予定カロリーを予定通りに摂取することが大切。食物摂取が少ないと、筋肉が薄くなり、体力が衰える。一旦衰えたら、回復が覚束ない」。
 その後、正月に一大事が起こってしまった。老婦人は正月帰宅で、自宅介護を受けていたのだが、元日に食物を喉に詰まらせ、救急車で病院に運ばれて、一挙に体調をこわしてしまった。おまけに、入院中に胃瘻増設まで受けて園に帰ってきた。やはりこの方は、脳内老化による危機的状態であった。食事介護の難しさを考えさせられる出来事だった。