12. 我慢の限界で重量挙げ競技
    おばあちゃん、手ぬぐいで顔隠し照れ笑い

 ベッド枠放り出して、ガチャン。職員二人が、走って部屋に駆けつける。おばあちゃんのわめく声が聞こえる。事故を心配して走り寄った職員に対して怒鳴っている。頃合を見計って、園長がおっとりとした雰囲気をただよわせながら「おっかさん、どげんしたと?」と声を掛ける。職員が「枠を外して、投げ出したんですよ」と、説明する。とたんに、おばあちゃん、苦笑いしながら「どげんも、こげんもなか」と照れている。
 普段から、若い女性職員の接遇に不満を抱いているこのお年寄りは、時々爆発する活火山のように、突然気炎を吹き上げている。こんなときは、若い男子職員がお世話をすると、噴火が下火になるから不思議である。いや、不思議でもなんでもない。同姓の職員に対して点が辛く、男子職員については、点が甘いのである。
 園長と生まれ年が同じ長男がいるこのおばあさんを、私はいつも「おっかさん」と呼びかけている。お年寄りの朝ご飯に間に合うように、早い出勤を心がけている私は、まず、やかまし「おっかさん」に早朝の挨拶をする。「園長遅か。もちょっと早よう来なさい」という。知り合って、しばらくのときは「まあ、なんと我儘なおっかさんかいな」と思っていたが、どうも違う。「待ちかねとった。もっと早う来てくれ」という意味らしい。
 こんなおばあちゃん、私が顔を出すと機嫌がなおる。このときも「どげんも、こげんもなか」と苦笑い、やおらタオルを取り出し拡げて顔隠し。しばらくして、姉さん被りして、歌い出した。
   ♪はぁ〜、花は霧島 煙草は国分うぅ〜
このお年寄りは、我慢強いが、やはり人の子。あまりにも単調な生活が続くと、イライラが嵩じて、次第にわがままの地が出てくる。
   ♪抱いて寝もせず 暇もくれず 繋ぎ船かよ わしが身は〜
手ぬぐいかぶりで謡い終えたおっかさんの「園長、もう仕事に帰りなさい」には、園長思わず笑った。本人も苦笑していた。
 「園長、あんた48手のうち、何手使えるとな」「なんな、そんくらいしか、知らんとな」。今度は、私が苦笑する番だ。芸者になりたかったこの方、明治43年生まれ、私の母と同じ年、母が生きていれば誕生が来て96歳になる筈。とにかく規格外れの方だ。私の母よりも奔放に生きていらっしゃる。「四十後家は立たんかった」というが、本当に思える。「あんたも金が要るろうがと、袖を引いて、金ば呉れよった」。もう、これ以降は書けません。ペンを置かせてもらいます。