5. 拒食症の果て胃瘻になったご婦人
   経口食事で健康回復

 措置時代から、長期にわたり特別養護老人ホームに入所している人で、自立度が高い方は、介護保険法によって、入所資格を失うことになった。5ヵ年の猶予期間が経過してもなお、自立度が高い自己健康管理優等生が、当施設を出なくてはならぬことになった。この方は、自宅に復帰しても、年金収入だけでの生活設計ができない人なので、経済的自立ができない独居老人として、市役所の「老人ホーム入所判定委員会」で入所審査を受けることになった。審査を経て、泣きの涙で某養護老人ホームに転出された。ところが、彼女は、丸一年経って当園に帰ってきた。そのときは、「胃瘻」になっていた。「胃瘻」とは、胃に人工的に増設した食物注入孔である。
 病院で、患者さんが口から食物や飲み物を取り入れることができなくなると、医療上、チューブを使用して経管による栄養補給を試みる。一時的ならば、頸部静脈に栄養液を点滴するという方法がとられる。安定的にチューブから摂取できるように、静脈に接合のためのジョイントを頸部に埋め込む。腎臓機能不全のとき、透析をうけるために、手首にチューブを繋ぐあの方法と同じ方式である。頸部ジョイントを通しての長い期間にわたる栄養補給はできないとされる。栄養摂取の手段として使用できる期間は、およそ6ヵ月とされる。
 栄養点滴を続けることが難しくなると、その次に「胃瘻」が胃に増設される。「へそ」部分から、経管食を胃に直接送り込むための経管注入装置を取り付ける。これを、医療上、「胃瘻増設」と呼んでいる。口を経て飲み込むことがないので、栄養摂取の面では問題解決していても、本人は食べる楽しみや食物の美味しさを味合うことができない。食感が得られないから、心理的な満足感も得ることがない。そして、胃瘻になった人の医療域での変化は、唾液腺分泌が少なくなることによる内臓分泌の変化とその分泌酵素の働きの変化が表れる。もちろん、身体的変調が出てくるので、医療的支援、アフターキュアが必要になる。胃瘻になった人を観察すると、唾液腺分泌が少なく、いつも口腔内が乾燥している。増設後は、次第に嚥下機能が低下していくので、胃瘻から抜け出すという医療プランを持てる人は、嚥下訓練を続ける必要が出てくる。
 某養護老人ホームに転居してからの彼女は、世俗的な表現をすれば、世をはかなむあまり、診療内科の診断で、手術を受けざるを得ないことになったと推察される。食物を体が受け付けないほど精神的に落ち込んだ、ということである。ご婦人は、いわゆる拒食症のゆえに、体重が激減したので、やむを得ず病院で胃瘻増設を受けていた。
 長い時間、チューブに繋がったまま、体を横たえて液状食物を受け入れるのは、まことに辛いことであろう。食事する喜びのない生活を、彼女は我慢できなかった。彼女は自ら進んで、口径で水分をとることからはじめて、流動食を嚥下することを自発的に始めだした。帰園して「やはり、ここが一番好き」というほど、精神的に落ち着きを取り戻して、心理的に回復したことで、拒食状態から開放されたに違いない。
 食堂で、にこやかに談笑しながら、箸と茶碗を持って食事する姿を見ると、私はほっとする。最近の彼女は、テーブルの周りの老人の世話をするようになった。やっと、以前の彼女に戻ってきたようだ。拒食から開放され、胃瘻経管チューブから外れることができた「ヒモなし彼女」に幸せあれ。