|
|
17. 「お客様は神様です」という職員の言葉は白々しいです
先輩介護士からの小言
75歳まで、老人の介護の仕事を続けてきたお年寄りが、93歳になった。今度は、介護を受ける立場になった。「独居生活を続けるのは無理です」と、医師から診断されて、これまでの自立独居の方針に反して、ひとり息子の家庭に身を寄せた。数ヵ月ほど前のことである。加齢による体力の衰えを、気力で補うには限度がある。医師が心配して、子息を呼び、同居をすすめたとのことである。この方の初回短期入所のとき、園長がベッドに腰掛けて読書中のこのご婦人に気付いた。歩行のとき使用する杖を一本、持参していた。この方についての情報は、ご婦人が自己紹介されたもの。彼女の言葉の端々に、これまでの人生経験から得た、ものの考え方がうかがえて、とても面白い。部分的に拾い出だして、紹介させていただく。
- 「私、これまで目も耳も達者できた。だが、すこしばかり、頭脳の方が衰えてきた。そして、この頃は足が不自由になってきた。息子夫婦の負担を考えて、3泊4日の短期入所を、月2回の割合で用意してもらっている」
- 「病院での介護の仕事を続けたお陰で、長い間、独居を苦にせず生きてこれました。今は、どのような形で一生を終わることができるか、思索しています。本も読んでいます」
- 「同室の老人の寝ている姿を見ていると、私、あんな形で終わりたくない。多くの老人の心栄えは、爽やかといえず、共感を覚える人が少ない」
- 「共同生活するのだから、もう少し助け合うことがあってもいいと思うのだけれど。世話を受けることばかり考えて、そばに居る人を助けてあげることをしない。どうして、こうなるの」
- 「ここの職員のスローガンに『お客様は神様です』とありますが、お年寄りは、神様でありはしない。ただの年寄りなだけです。人の尊厳を考えていない。白々しい言葉に聞こえます」
- 「他の施設に泊まってみたけど、ここの方が明るい雰囲気でいい。歌声も聞こえるし、これからは、ここに世話になるつもり。恵比寿様に見える園長のために、熊手を買ってきます」
ここで、白状するが、「園には針も糸もありません」と、返事した職員に当たったのがこの人。でも、介護の先輩として、ご自分をしっかり確立していらっしゃるから、騒ぐこともなく、3泊短期入所を月2回、予定通りこなしていらっしゃる。園の食事についての評価点を公平にくださるし、部屋の同居人について、遠慮なく批判もいただく。職員には、無理のない手伝いを申し出てくださる。こんな人ばかりだけだと、園の運営は楽なんだけれども、と思う。今、園長の部屋には、彼女が遠方の山にある神社から、正月に買い求めてきたという熊手が飾ってある。どうぞ、施設に現金が溜まりますように。
このご婦人から、珍しく職員を通して「今日から世話になる。話に来て」と申し入れがきた。介護の先輩は、上等な杖を片手に持って移動していたが、膝の悪化はない模様。「動きが不自由で困る」とこぼしている。淋しさの方が募るとおっしゃる。この方は、「一期一会」の心境になっているので、会話を楽しむ雰囲気を作れば、喜んでくださる。「針と糸は持ってきましたか」に、「ちゃんと持ってきました」という返事だった。今読んでいる雑誌は、仏教誌で、内容はかなり高度である。繰り返し熟読している様子が伺えた。宗教誌の話を続けるうちに、今日は、私が相談を受け取ることになった。いくら本を読んでも、思索を重ねても、生きていく辛さは変わらない。「生きる喜びがでてこない」と言われた。過去と未来の中間点「中今」、なかいまは、考え次第で大きな広がりと人生の重みを持つことができる。この方は、中今をどのように生きようと思索している。今日は、ちょっと淋しかっただけらしい。
ご婦人は、車椅子で通りかかった顔なじみに、こっそりと、袋入り塩煎餅を1袋渡している。施設としていは、入所者の食べ物のやり取りをお断りしているのだが、彼女は、それを知っているので、私の方をちらりと見ながら、相手の懐に隠すように手渡している。相変わらず、面倒見がいい。
|
|
|