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7. 「ボランティアのお世話を私たちがするのですか」
職員の受け入れ姿勢に問題あり
40年にわたる長い老人施設の歴史の中で、地域のボランティアに支えられて、運営が続けられてきた部分は大きい。ところが、職員の新旧入れ替わりを重ねるうちに、地域のボランティアと職員の連帯感が次第に薄れるのは、致し方ないことであった。さらに、老人介護が、介護保険制度の中に組み入れられて、入所希望者と施設との介護サービス契約のかたちになったことが影響していると思う。
古くから施設を見てきた人が、「この頃、ボランティアさんが、お宅に行きたくないというてます」と、関西訛りで話をしてくれた。どうも、職員のボランティアに対する態度が、最近はよろしくないらしい。若い職員だけでなく、古手の職員も受け入れ姿勢が問題のようだ。新園長としては、まず、ボランティアさんに積極的に接近する方針にした。忠告いただいたことが本当だった。私の親密作戦が、ボランティアに浸透して、いろいろな反響があった。概ね、事情は好転したと思うが、とんでもない事件にまで発展してしまうことがあった。<ボランティアの心情ようやく察知・職員が貴方の気持ちを踏みにじるなんて>に書いておいたけれど、職員がボランティアの奉仕に慣れきって、無礼なことをしでかしているようだ。園長はちっとも知らなかったということが、まだまだあるようだ。
施設長が就任した頃の職員のボランティアに対する無理解、無関心は、私が想定したとおりだった。若い職員は、ボランティアの気持ちや人情の機微を忖度できるほどに、成熟している人はあまりいない。古手の職員だって怪しいものだ。私は、介護長と語らって、ボランティアの現場受け入れ態勢の整備をした。まず、現場の担当者割り当てを行った。そして、事務所の担当職員を新しく決めた。新しく任命すると同時に、ボランティアの資料を整理してもらった。
次は、いくつものボランティアの世話役と話し合った。ちょうど施設が、3キロほど離れた現在地に移動したこともあって、ボランティアと話し合うタイミングはよかった。日程とボランティアサービスの内容について、相互の調整をすることが出来てよかった。ボランティアの世話役と仲良くなれることは、都合のよいことがいくつもあった。園長は、サービスに従事しているボランティアには、出来る限り頭を下げるようにした。挨拶作戦である。介護長も同調してくれた。
ボランティアの皆さんも、次第に新しい建物の中で、働き場所を得ていった。順調に見えたボランティアサービスに齟齬はあった。もっとも古いボランティアグループが、ディサービス部署に出動を拒否するという事件が起こった。原因は、出動をお願いしたにもかかわらず、施設側の受け入れ態勢が取れず、サービサーを困惑させることが続いたらしい。若い職員に対する教育・指導不足である。所長は、責任を取って辞職した。職員に対する啓蒙を怠ると、火の粉は、上司に降りかかってくる。身をもって、地域のボランティアに接触してみせないと、職員は感ずるところがないのである。次の話を聴いてほしい。
ある日、ボランティア活動を続けている方たちと受け入れ担当職員との集団討議をおこなった。介護長の発案で実現した会合である。ボランティアさんは、園のお年寄りと友好関係を持つために、たまには老人たちと懇談したいという希望を提出された。その希望をかなえてあげるためには、懇談できる能力のあるお年寄りを選出して、対話ができる席を用意する必要がある、と私は考えた。偶発的な交流だけに頼っていては、うまくいかないだろうと思えた。介護職員の中には、「私たちが、話し合いの世話までするのですか」と、介護長に質問したそうである。「そこまでボランティアさんのお世話をしなければならないのか」という疑問であった。疑問に思ったことを、こちらにぶっつけてくるだけ、正直でよろしい。説明してあげよう。「この方のように、君たちは無償の奉仕を、続けることが出来るかい。あの方たちは、園の理念<慈愛・博愛・友愛>の具現者なのだよ。お年寄りと交流したいという希望に応えるのに、君たちには何ほどの苦労があるのかい」。
ボランティアに懸命に応接しようとする園長の姿勢を評価して、思いがけず、ご褒美を頂戴したことがあった。とても寒い時期に、ボランティア婦人から手編みのチョッキを頂戴した。「園長が真面目に働いているからご褒美をあげる」というのである。見繕って編んでくれたそうで、大きさはぴったりだった。思いもかけぬことだったので、とても嬉しかった。
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