4. 肉体の老化と精神活動の退嬰
   静かな環境を提供したい

 施設に入所しているお年寄りで、いま日記を書いている人は、幾人かいるようだけど、毎日続けるとなると、果たして何人いるだろうか。数少ないうちのひとりを思い出した。その方は当施設に来る以前から、日記を書いていたらしい。短歌に興味を持って、自作歌を日記に書き続けていた。
 この方は隣の県から、娘を頼りに移り住んできた方なので、ここでは「お隣さん」と、呼ばせていただく。お隣さんは、入所後も、日記を書く習慣は捨てなかった。だが、彼女は寄る年波に抗しきれずに、次第に鉛筆を取ることが少なくなり、字が書けなくなっていった。「書道」の同好会に出席することもなくなった。自作の短歌も次第に数が減っていったし、日記帳の書き込みの字は、経年と共に乱れていった。彼女は学校の先生を務めた方だったので、すばらしい文章をきちんと書いていらしたようだ。娘さんは、そのお母さんを誇りに思い、懸命に介護を続けていた。だが、母さんの肉体的老化と精神的不安定が自然と増大していくにつれて、作文が体裁を成さなくなっていった。乱れた文字と短歌とをみるとき、母さんの身体の老化と精神の退嬰を、目の当たりに見るようで、私もとてもつらかった。
 お隣さんは、歌唱力があり、踊りが上手だった。踊りは、どうも小さい頃から稽古されていたと思えた。踊りの盛んな地方で育った所為か、音楽に合わせて踊る即興的なひょうげた所作は、なかなかのものであった。興に乗って、座興で踊る姿を見て、大向こうから、声が飛んでくるほどだった。
 娘さんは、以前に入所していた老人保健施設での投薬過多を嫌って、この施設に母親を連れて来たのだった。彼女は母親が普通のお年寄りが送るような生活であることを願っている。施設にこまめに顔を出し、また自宅外泊や遠遊へと、母親を施設の外に連れ出していた。「母親の娘を頼ることはなはだしく」というのは、大袈裟な表現ではなかった。私を見るたびに「娘は忙しくて来れんのやろか」「忙しかとやろか」と、足をやや内股にし、膝関節をゆるやかに曲げる姿勢で、歩きながら声を投げかけて、私に近寄って来られるのだった。
 このお母さんは、精神的安定を失って、幻影を見るときは、過去の不愉快な経験や悲しみ、恐怖というような体験が、脳内に浮かび上がっているらしく、そばにいる人には見えない対象に向かって、攻撃的な言葉を投げつける。そして、幻影におびえて、いつもは、仲良く共同生活をしている人に対して、非難の言葉を繰り返し浴びせ掛けるのだった。彼女と同室で、普段は面倒を見てくれるパートナーの、このときの困惑した顔を、いまも思い出す。
 精神科医学の領域でいう「せん妄」症状のときの彼女は、とても感覚が鋭くて、音や周囲の動きに鋭敏に反応する。施設に研修に来た若い男性たちが、廊下を移動していると「貴方たちは何者? 早く退去しなさい」というし、職員が物音を立てると「静かにしなさい」と声を荒げて叱る。このような時は、部屋の明度を落として、音を立てぬ物静かな雰囲気の中に置いてあげるに如くはない。「せん妄」症状には、おびえの気持ちが現れているようだ。タイミングをはかって、気持ちが和むような環境を整えて、静謐な時間を過ごすと自然と落ち着く。大型の老人施設では、このような時、お年寄りにふさわしい空間の確保と静かな環境を十分に提供できないのが苦しい。
 いまの介護施設基準では、入所者には個室だけを設置認可するようになっている。当施設は、介護保険制度スタート時の旧基準による施設であるので、4人部屋中心の作りになっている。落ち着いた雰囲気を醸し出すには、この施設は精神科医療域からみて少々、大型過ぎている。だから、老人に優しい環境が整えられているとはいい難い面がある。ユニットケア型運営をするグループホーム施設などから来た研修職員は、このことに気が付くようだ。グループ介助の工夫をしてはどうか、と提案をいただいたことがあった。
 いま、老人施設はユニットケア型個室基準による施設運営が標準化しつある。私が考えるに、これからは個室化が普及するにつれて、老人ホームでのグループ介助方式が注目されていくだろう。入所者の共同生活と個人生活とを両立をはかることによって、お年寄りの精神的安定が得られると思われている。わが施設でも、個室整備化とグループ介助の研究を進めることで、楽しい老人ホーム生活の場を提供することを提案している。